プロダクションノート 阿武野勝彦 プロデューサー

プロダクションノート 阿武野勝彦 プロデューサー

テレビからスクリーン

1年で3本か4本。私たちが制作しているドキュメンタリー番組は、せいぜいそのくらいだ。番組は構想から放送まで半年から1年かかる。スタッフはディレクター、カメラマン、編集マン、全部で10人に満たない。志を高く掲げて作るのだが、名古屋ローカルで終ったり、全国で放送されても「26時台」などと、今日のような明日のような時間だったりすることに、やるせない思いを持ち続けてきた。より多くの人にお観せしたい。表現の扉を開きたい…。
去年の10月、産経新聞の山根聡編集委員から書評を依頼された。題材は『日本のドキュメンタリー』(岩波書店)。その第一巻を読んで、私はドキュメンタリー映画界の人たちの文章にイライラした。半世紀にわたるテレビドキュメンタリーの扱いが不当だと感じたのだ。怒りの筆で書きはじめた書評だが、その怒りが自分の行動すべき方向をおぼろげながら指し示していることに気がついた。テレビと映画。この二つの世界で途絶したドキュメンタリー。そして、ドキュメンタリー映画は、今、テレビの枠組に入りにくい状況にある。ならば、テレビの私たちが、映画の世界へと踏み出すことで、テレビと映画が交じり合い、芳醇な表現の世界が構築できないだろうか。そんな考えが膨らんでいた。


連作シリーズからスパーク

「戸塚ヨットスクール」。齊藤潤一ディレクターは、シリーズで司法ドキュメンタリーを取材してきた。冤罪、裁判官、弁護士、犯罪被害者、検察官と続き、次の提案は、戸塚ヨットスクールだった。「なるほど、被告だな…」一連の司法シリーズとして、取材は走り始めた。確か、当初の企画書の仮題は『懲役6年』だった。東海テレビは名古屋に本社があり、愛知・岐阜・三重の東海三県をカバーしている。戸塚ヨットスクールは、愛知県美浜町にあり、私たちの地元である。かつて『たたかいの海』(矢野和久ディレクター・1982)という番組も制作されている。時代のヒーローから犯罪者へと転落していく取材対象に、懸命に食らいつき、フィルムやビデオで様々なシーンを残してくれた。先輩記者の奮闘の記録が、今回、映画の素材として蘇っている。テレビ局は、制作者が組織的に連なっているという意味で、映像素材の宝庫なのである。

「教育か暴力か」。二元論が戸塚事件の論争の柱だった。世間はこの二元論に熱狂した。私も新人アナウンサーとして現場に行き、熱狂の嵐の中にいた。「暴力」と言った時点で「人権」が立ち現れ、排除の論理が激しく働く時代だった。30年近く経過した今、あの熱狂は、どのように見えるのだろう。戸塚ヨットスクールを入り口にあの時代を振り返ることで、今の社会のありようを照射できるかもしれない。齊藤ディレクターの中で、そう思った時に、司法シリーズの枠から『平成ジレンマ』へと表現がスパークした。

ひきこもりと家族間殺人が社会を覆う大きな暗雲として垂れ込めている。「親がしっかりしていないんだ」と、これらの問題のすべてを家族に背負わせて、その突破口は家族が見出すべきだと追い込むことの帰結は、打ち続く尊属殺人なのではないか。家庭は煮えたぎった釜のようだ。どうやって熱を逃がすか、家庭問題の社会化は避けられないはずだ。その時、人権という考え方は、どう捉えたらよいのだろう。子供の側からの人権、そして、親の側からの人命…。或いは、その逆。また、家族、地域、そして社会のありようが著しく変容して、いわば心と身がバラバラのまま進んでいるようだ。たとえば、「戸塚」を軸に考えるなら、「戸塚」に代わるものを作り出すことなく、排除したままの社会が問題として見えてくる。「戸塚」を肯定する、しないではない。否定するなら、それに代わるものを作ることが必要だったのだ。それは「戸塚」から学ぶという意味だ。時代の閉塞感などと括ってみても、出口が見つからない。どうやったらこのジレンマの止揚ができるのか。ヒントは、あの時代に捨て去った「戸塚」にあるのではないか。


表現の翼を広げて

北海道から沖縄まで全国のテレビ局に素晴らしいドキュメンタリーの制作者がいる。しかし、その制作番組の多くは私たち以上に予算も、放送時間も厳しい。そして、同じような閉じたイメージの中にいるのではないかと思う。テレビ番組を映画作品にというのは、仕組さえ知ればそう難しい事ではない。テレビであろうと、映画であろうと、大事なのは、中身の質である。地方に存在するテレビマンのドキュメンタリーは、表現の扉を開くに足る力を持っているものが多い。映画館の扉を開く可能性のある素材だ。私たちは『平成ジレンマ』の上映が、全国の制作者と映画関係者が表現の翼を広げる機会になることを願っている。

(C)東海テレビ