時代背景と現在

時代背景と現在
戸塚宏氏略歴と戸塚ヨットスクール事件

戸塚宏氏は、昭和15年(1940年)生まれ。名古屋大学工学部に入学後、ヨット部に入部。主将を務める。卒業後、国際ヨットレースに参加。
昭和50年('75年)、沖縄海洋博記念のサンフランシスコー沖縄間の一人乗りヨットレースで堀江謙一らを抑え、41日間という驚異的な記録で優勝。その名を世界に知らしめる。
翌年、オリンピックで通用するような一流のヨットマンを育てようと「戸塚ヨットスクール」を開校した。週末になるとスクールには、ヨットを学びたい小中学生がやってきた。そのなかの一人に不登校の小学生がいて、短期間の訓練を終えた後、学校に通えるようになった。その評判は、マスコミの報道で広がり、全国から非行や不登校などの情緒障害児が集まった。体罰をともなうスパルタ訓練。全盛期には100人を超える訓練生が在籍した。

開校して4年目、日本中を騒がせた「戸塚ヨットスクール事件」が起きた。昭和55年('80年)11月、当時、大学浪人生だった吉川幸嗣さん(当時21歳)が訓練中に死亡。昭和57年('82年)12月にも、中学生の小川真人君(当時13歳)が訓練中に死亡した。
さらに昭和57年8月に、高校生の水谷真君(当時15歳)と杉浦秀一君(当時15歳)が奄美大島の夏季合宿から帰る途中、訓練から逃れるため、フェリー船から海に飛び込み、行方不明となった。
警察は行き過ぎた体罰が原因だと、戸塚校長と12人のコーチ全員を傷害致死や監禁致死などの疑いで逮捕。「体罰は教育だ」と主張する戸塚校長を、マスコミは叩いた。
裁判は、ヨットスクールの訓練は「教育」か、それとも「暴力」かが焦点となった。
一審の名古屋地裁。検察側は「スクールは暴力的方針による営利目的の企業体で常軌を逸した過酷な体罰は教育、治療ではない」として戸塚被告に懲役10年、起訴されたコーチ9人に懲役6年から1年6月を求刑した。
これに対して弁護側は「体罰などは、情緒障害児の教育・治療が目的で、親の懲戒権の委託に基づく正当な行為だ」と反論し無罪を主張した。
判決は、戸塚校長に懲役3年。コーチ9人に懲役2年6月〜10月。いずれも執行猶予がついた。名古屋地裁は「体罰は違法だが、情緒障害児の治療という目的は評価できる」と判決理由を述べ、訓練の正当性は認めた。
しかし、二審の名古屋高裁は「訓練は人権を無視していて、教育でも治療でもない」と断罪。戸塚校長に懲役6年、コーチ3人に懲役3年6月〜2年6月の実刑判決を言い渡した。そして、平成14年(2002年)、最高裁が被告側の上告を棄却し、刑が確定した。
この間、事件で死亡した4人の遺族との民事訴訟で、和解が成立。合わせて約1億円の賠償金が支払われた。
平成18年('06年)、戸塚校長が出所。すぐに、ヨットスクールに復帰した。
現在、訓練生は10名前後。かつては、10代半ばから後半の「不良」が多かったが、いまは「ひきこもり」や「ニート」が多く大半は二十歳を超えている。
事件後、激しい体罰は封印された。

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